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「境界性人格障害の方に、死にたいと言われたら」

これは、私が死にたい時に、して欲しいことを書きます。

恐らく、境界性人格障害を支える方々は
大変苦労されていると思います。

現に私を支えてくれたパートナー達は
欝のようになったり、大変傷つけてしまったことが多かったのです。
元旦那さんには、離婚も経験させてしまいました。

愛されたい、愛したいのに、それすら叶わない、
情けない障害者であるということを私は自覚しています。
そして、申し訳なかったな、と思います。

参考になれば幸いです。


「死にたいと言われたらどう対処するか」

会えるのであれば、何も言わず、
抱きしめてあげてください。

ただ、寂しく、虚しく、心が壊れてしまいそうな位不安なのです。
お説教も、叱咤激励も、何も必要ありません。

私であれば、9割の確率でその日を生きていけます。

会えない状況であったり、電話やメールでやりとりするのであれば

単純に「君がいないとダメだ」「生きていて欲しい」「必要だ」
それから「大丈夫」だと言ってあげてください。

それでも食い下がる場合が多々あると思いますが、
一貫して上記の言葉をバリエーションを変えながら
淡々と話しかけてあげてください。


安定した信頼感は、境界例を救います。
この人は、私を裏切らない、という安心感がひとりでいいから欲しいのです。

でも、もし、支えるあなたが壊れそうなのであれば、潔く速やかに逃げてください。
そんなに生半可に救える障害ではないのです。
医療専門機関に相手を繋ぎ、それでも支えきれない場合は、逃げて構いません。

放っておいても、この障害を持つ患者の10%が自殺を完遂します。
死ぬときは、人間は死ぬのです。
あなたのせいではありません。


今、私は誰もいないので、不安定な日々が続いていますが
もし私が死んだとしても、それは仕方ない、と思って貰いたい、と思っています。

本来は「自分だけは自分自身を裏切らない」と思えることが正常なのかもしれません。

人は、誰かに支えてもらっても生きられますが、
全てを支えてもらうことは、やはり出来ないと思うのです。


参考になれば幸いです。
# by foxyborderline | 2012-09-09 16:06 | 死にたい | Comments(0)

「〈4〉私の場合」

〈4〉 自己を傷つける可能性のある衝動性で、
少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、むちゃ食い)

自殺未遂以外で、の自己破壊行動ですね。

これはもう、自己評価が低すぎるので
堕ちることまで堕ちてしまえ!という衝動です。

私の場合は、性行為、物質乱用に及びました。

性行為、まず、男性が側にいないと淋しさや虚しさを乗り越えることが
出来ない時期がありました。
常に恋人がいたり、恋愛の駆け引きをしかけたり、などです。

セックスをしているとき、腕に抱かれているときだけに
生きている、と思ったこともありました。

物質乱用はドラッグや、薬物の乱用のことです。

お酒も入るのかな。

過去、初対面の男性から薬物をもらったり、市販薬でラリッていたりしました。
お酒も、倒れるほど飲んで路上で半分死んでいたこともありました。

「どうなってもいい。死んでもいい」という自尊心の低さは
ここまで無茶な行為に発展するのか、と今なら思えます。
「風俗嬢になりたい」と思ったりもしました。

とことん堕ちて死んでしまいたい、という考えが常にあるということです。


どうして、自分を大事に出来ないのか。
今はそう思います。

自分を大事にする、愛する、ということが、
全く分かっていないのが、この障害でもあると言えます。
# by foxyborderline | 2012-09-09 15:51 | DSM-IV診断・私の場合 | Comments(0)

「〈3〉私の場合」

〈3〉 同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像や自己観


これは安定した自己像がなく、
社会価値や職業、役割などに帰属しているという感覚がない状態が
ずっと続くことです。

アイデンティティ(自我同一性)が混乱していて、
自分というものがはっきりしません。

私は、どこにいても、何をしても
自分がここにいてもいいのか、という不安とともに生活しています。
自分の考えが正しいのか、それすら分からずに。

それが、現実に求められている職の場であれ。
仕事の場合であれば、この状況では
まず達成感というものが得られることはありません。

そして血の繋がった家族であれ、友人であれ、帰属感というものが希薄なのです。

これも大変辛く、自分がいてもいなくてもいいような感覚でしかいられません。

なので私の場合は二者関係の極みである恋愛に逃げ込むことが多くありました。

しかし、その恋愛感情すら、しがみつきの心理である故、
本当の愛ではなくなるのですが。


よく「そのままの君でいい」などと言う言葉がありますが
その「そのまま」ですらコロコロと変わってしまうので
自分でも分かっていないような状況です。

だって、自分というものが、明白ではないのですから。


私はいまも、それを探している途中です。
# by foxyborderline | 2012-09-09 15:38 | DSM-IV診断・私の場合 | Comments(0)

「願望」

もし願いが叶うとしたら、死にたい。
切にそう思う。
痛みも苦しみもなく、悲しむひとがいないなら。

日々は自分を責めることばかりです。
生きる価値が無いと思い、
誰かに愛されたい、と願い、
だいたいはそれに破れます。

もう、ひどい時は、生き地獄です。

何度死のうとしても、死にきれません。
それは叶わないから、生きるしかないのです。


現在私はソリューションフォーカストアプローチという手法で治療を受けています。

『問題の理解』ではなく『解決の構築』に焦点付けしていくカウンセリング技法で
例外(クライエントの問題が起こっていない状態)や
解決の手がかり(リソース)をクライエント自身が探索できるように、様々な質問を行います。

いわば、行動療法のひとつなんではないでしょうか。

精神科医が一番最初に私に質問した質問は

「何もかもが叶うとしたら、何になりたいか」でした。

死にたいという答えは受け入れられなかったので、考えた末私の答えは

「普通の人間になりたい」でした。


境界例でなければ、いいのです。
わたしが、普通の人間であれば、この苦しみもなかったはずなのに、と思います。

乗り越えられる、と書物やネットには書かれています。

それは、死にたい気持ちをひたすら我慢する、忍耐する継続なのです。

迫ってくる自分自身の悪しき気持ちと向き合い、自らで対処していく。

ただ、生活するだけで精一杯なのに、境界例の人間というのは無駄な労力がいります。


どのようにしてそれを抑えているか、またそれは継続して書きたいと思います。
# by foxyborderline | 2012-09-08 18:40 | 日々 | Comments(0)

「〈2〉私の場合」

〈2〉 理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる
不安定で激しい対人関係様式


これは、本当に厄介です。

(理想化)最初、力ある人や、才能ある人に好意を持って接します。

それが、神格化してしまうほど理想を委ねてしまうため
何かひとつでも裏切られたら、もうその存在自体を拒否してしまうのです。
対象も、自分自身も含めです。

好き嫌いが激しい、と言えばそれまでなのですが
本人はいたって真面目にそれを捉えます。

ある時は「裏切られた!」「信じていたのに!」
と思い私の場合はただ落ち込み、そしてその人の前から姿を消します。

恋人などには、罵ったりなど、攻撃に走るケースもありました。


どうして、「人には良いところも悪い所もある」と思えないのか。
これが白黒思想の骨頂ですが…。

要するに人と自分の思考の境界線が引かれていないのではないかと思います。

私がこう思ったことを、理解してくれないなんて酷い!と
理解されたいという思いが強すぎる為、理想化した人間にはとことんぶつけにかかります。
これが関係が破綻する大きな要因ではないかと私は思っています。

誰しも、全てを受け入れ、全てを解決することは出来ませんから。

逆に「一般的」と判断した人間には見向きもしません。
一般的な人間に自身が認められても、価値がないと思っていました。


この性格の悪さ…。

我ながら自己嫌悪に陥ります。

この障害を持っていない方は、こんな事を思わずに生きていけるのだとしたら
本当に羨ましいと思います。


継続した、安定した人間関係を築くのはほぼ皆無。
結婚生活も破綻しました。

よほど大きな器で見守ってくれる人がいればいいのですが
女友達に至ってはほとんどいません。
男友達は性的な好意を持って近寄ってくれるので、
私はそれを利用しているのではないかと思います。
しかし、それを敏感に察知するため、心を許せる人間がほとんどいません。

常に孤独です。

それでも、誰かの側にいたいのです。

逃げていく人を見送りながら、
「こんなに辛く悲しいのに、孤独にされなくてはならない病とはなんなんだろう」と思います。

分かりやすい病ならば、看病してもらえたり心配されたりしますから。

周りに、いつの間にか誰もいなくなる障害。

どうして、こんな障害を持ってしまったのか。

本当に、生きづらい障害です。
# by foxyborderline | 2012-09-08 16:55 | DSM-IV診断・私の場合 | Comments(0)


境界性人格障害と躁鬱を抱える本人のブログ


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